※この体験談は、執筆者の先生ご自身の思いや感情を、できる限りそのまま表現いただき、私たちもそれを尊重いたしております。表現、用語などは誤解のないように配慮いただいておりますが、お気づきの点がありましたらご意見いただければ幸いです。
私は大学院に進学してすぐに第一子を妊娠しました。
妊娠、出産、育児と進み、研究と子供の成長を見守るバランスをどう取るか、日々悩みながら過ごしていました。夫は通勤片道1時間半の勤務医だったので、子供の世話は主に私が担当していました。夫は夕食後の洗い物や洗濯物をたたんだり家の片づけを担当してました。実家の親や姉は協力的でしたが、彼らは仕事をしていましたし片道2時間かかるので、毎日の用事を頼むというのはできませんでしたが、休みにはよく子供の様子を見に来てくれていてとても助かりました。周りの助けをほどほどに借りつつ、教職員や保育園の先生方、周囲の方々に理解してもらいながら何とか日々を乗り越えてきました。
1人目の子供が3歳になり、私も少しずつ育児に慣れてきて、子供が「兄弟が欲しい」と頻繁に話すようになりました。第2子を妊娠しようと踏み切ったのですが、妊娠して初回の産科検診で双子であることがわかりました。 驚きと喜びが入った瞬間に、一方で「これからどうやって乗り越えればいいのだ?」という不安も大きく膨らみました。
双子を育てることが、当時はまったく想像できず、途方に暮れていたのを覚えています。夫が、(私)は子供3人ほしいと言ってたし、自分は子供は二人でいいと思っていたから、お互いの希望がかなってよかったな、といったので、そうか、希望がかなったのか、とすこし気を持ち直しました。
双子だと分かった時点で、私は出生前診断を含めて様々な準備を進めました。 調べていくと、双子は切迫早産になりやすいという情報が多く、もしかしたら入院することになるのではないか、そうしたら、これまで私がいつもそばでフォローしてきた上の子にとって、母親が数か月いないことで心に傷を負ってしまうのではないかと、とても心配になりました。そこで、切迫早産は絶対避けたいので、なるべく安静にできるようにかつなるべく上の子の生活がかわらないよう、私が担当していた様々なことをできる限り誰かにお願いしようと考えました。
しかし、民間のベビーシッターに依頼すると、保育園の1回の送り迎えだけで1万円以上かかることがよくわかり、経済的に続けて頼むのは難しいと感じました。
また、子供をタクシーに乗せるサービスも試してみましたが、怖がって乗ってくれませんでした。しかし、他に方法がなくタクシーに乗せるしかない、と思い、保育園に、園からタクシーにのせてくれないか、と頼んだところ、ベテランの先生が「子供さんが怖がっているなら、タクシーよりもファミリーサポートを利用してみたらどうですか?」と提案していただきました。
周囲に利用している人がおらず、ファミリーサポートに無知であったため不安でしたが、先生が「いい人が多いから大丈夫」と背中を押してくれたので、思い切って頼んでみることにしました。
実際にファミリーサポートを利用してみると、支援に来てくれた方々は皆さん本当に素晴らしい方々で、私にとって大変心強い存在でした。出産後も精神的肉体的に大変なときもありましたが、そんな時はいつも先回りしてサポートしていただきました。保育園の送りや迎えは一回につき700円、習い事の付き添いで(送り迎え、習い事の際の付き添い)一回につき1400円~2100円程度でした。双子が生まれてからは、朝は夫が家を出てから来てもらい、家の中で家事や育児を手伝ってもらい、上の子どもの用意ができたら保育園に送ってもらいました。夕方は保育園へのお迎えに行ってもらって、夫が帰宅するまで、もしくは夫が当直の日は、子どもが寝てくれるまでいていただいていました。毎日、週5回、朝晩それぞれ2時間ほどお世話になっていたころは、月に10万円以上かかっていたと思います。上の子が保育園を卒園するときに、夫が勤務医を退職したので、そこからは、習い事の送り迎えや熱が出たときのお預かりなどでファミリーサポートの方々にはかかわっていただいています。穏やかな方、明るい方、元気な方とキャラクターは皆さんそれぞれですが、誠実に暖かく子供らと向き合ってくださっています。
たぶん双子の育児は大変なのだろうと思いますが、ファミリーサポートの方がきてくださっていたので、3人育てるのとあまり変わらない大変さかなと思っています。むしろ双子だったから、私自身の気持ちとして、助けて、と言いやすかったし、助けに来てもらっていたから、特に休学や休職せずに続けていけたのだろうと思っています。上の子が小学一年生になる直前に、夫がクリニック開業するために前職を退職し、半年準備期間として充てていたので、小学一年生になるときの不安定さも乗り切れました。
「自分のできることはできるだけ自分から考えてやる、助けてほしいことや、してほしいことは明確に伝える」という姿勢を常に持っていました。自分の限界を見据えて、周りに頼ることは大切ですが、できる範囲で自分も動くことが重要だと感じました。
妊娠、出産、育児、そしてまた妊娠、出産、育児と繰り返しながら学位取得に向けて進んでいた私の大学院生活は、順調とはいいがたい状態でした。教官や教授にご指導いただき、何とか学位取得できたのは、大学院修了後3年たった時でした。 研究に全身全霊をかけることはできませんでしたが、育児と研究を両立させるために、24時間すべてが自分のものではないという現実を受け入れて、できることをコツコツと積み上げていきました。キャリアは子供がいないときのようには前進できませんが、去年より今年のほうが進化したな、と思うことが多く、私自身のキャリアを考えたうえで小さい進歩ですが、自分の中ではすごく励みになっていますし、私のプロフェッショナルとしての矜持を磨いてくれていると感じます。
赤ちゃんの時ずっと一緒にいたい、保育園に預けたくない、子供の成長をひと時も見のがしたくないという感情は特にありませんが、「この子の人生にしっかり向き合える大人は私しかいない」という強い使命感が常にありました。私がちょっと子供らから手を引いたほうが、のびのび育つかも知れませんが、手を引く勇気はまだありません。
親という存在は、幼い頃は子供の庇護者であり、小学生になる頃には子供にとっての指揮官のような存在であるべきだと、今では感じています。子供らは、どんどん成長していくので、彼らにいい刺激を与えられるように(あなどられないように)、これからも、親として、研究者として、そして医療のプロフェッショナルとして、子供たちと一緒に成長していきたいと考えています。