記事作成日:2023年12月26日

※この体験談は、執筆者の先生ご自身の思いや感情を、できる限りそのまま表現いただき、私たちもそれを尊重いたしております。表現、用語などは誤解のないように配慮いただいておりますが、お気づきの点がありましたらご意見いただければ幸いです。

page05_5_img_1
渡邉 美貴
卒後23年目 
麻酔科(専門:産科麻酔)

“女性には子供を産む力がある” こんな当たり前のことですが、私が自分の言葉として話せるようになるには妊婦さんと関わる仕事を始めてから4−5年の月日が経っていたと思います。

1産科麻酔との出会い

page05_5_img_2

私が、産科麻酔に出会ったのは大学麻酔科に入局してから5年目のことでした。
中央手術室で行う麻酔はある程度一人でできるようになってきた頃、麻酔科医としてのサブスペシャリティを心臓麻酔にしようか産科麻酔にしようかと迷っていました。いくつかの病院を見学する中で、現在の日本産科麻酔学会理事長の照井克生先生と出会い、産科麻酔を研修する道を選んだのが産科麻酔科医人生の始まりです。
それからと言うもの、お産の奥深さ、麻酔の力と全身管理の面白さに魅せられてかれこれ17年この仕事をしています。学生時代、産婦人科に全くと言っていいほど興味がわかなかった私が、こんなにどっぷり産婦人科病院で働いているのが自分でも不思議なくらいです。 そんな私のお産体験談をお伝えしようと思います。

2第一子出産

無痛分娩に出会った頃は医師になって5年目なので、まだ独身で、お産に立ち会うときは麻酔科医としての視点しか持っていませんでした。
私が医師になったのは今の研修制度になる前の話ですので、お産の知識は、学生時代の授業と臨床実習のみでした。臨床実習も、お母さんがあと何回かいきんだら赤ちゃんが出てくるという頃を見計らって分娩室に入らせていただき、状況も掴めないまま出産に立ち会い「おめでとうございます」といった記憶が残っています。
仕事として陣痛発来から分娩までお産に寄り添い、分娩室の外まで響き渡るような声で叫ぶ妊婦さん達と対峙するようになり、最初は
『この妊婦さんは、本当に大丈夫なのだろうか・・・(お産を無事に終えられるのだろうか)』
『普通に出産するのは、私には無理だ・・・』
と思っていました。一方で、つい先ほどまで叫び倒していた妊婦さんが、硬膜外麻酔を始めて30分もすると完全に素に戻り、普通にお話しをし始め、いざ出産の瞬間を迎える時も笑顔で落ち着いて分娩される姿も見ていたので、
『自分がお産をするなら、無痛分娩しかありえない!!』
と断言していました。
そして、その思い込み通り、第一子は里帰り先の関東の周産期センターで硬膜外麻酔をして出産をしました。

3院内助産院との出会い

夫も私も京都出身ではないので、お互いの両親の援助を得られない状況で子育てをスタートしなげればならなかった私は、縁あって今の産婦人科病院で働くことになりました。そこで、通常の分娩室のお産とは違う院内助産院のお産に出会い、衝撃を受けることになります。
畳の上で、ご家族に囲まれながらご出産される妊婦さんは、神々しいと感じるほど、少しも叫ぶこともなくとても自然に出産されていました。『なんでこんな穏やかにお産が進んでいくのだろう?』『麻酔もしていないのに、なんでこんな静かに分娩できるのだろう???』と不思議で仕方ありませんでした。そして、自分のお産の知識が医療に偏っているのでは?と気がついたのだと思います。
院内助産院のお産が頭から離れない私は、第二子を妊娠した時に、とても迷いました。
産科麻酔科医として仕事では妊婦さんに無痛分娩をしているのに、自分は医療の手は極力借りない、助産師さん主導の自然派分娩をするってどうなのだろう?そこに矛盾は生じないだろうか?と。 医療従事者の夫も、医療者でない母もそれぞれの立場で『本当に大丈夫なの?』と心配もしていました。ただ、最終判断は私に委ねてくれたので、家族で話しあった結果、何かあった時にはすぐに医師が介入できる“院内”助産院での出産を妊娠23週頃には決めました。

4第二子出産

助産院での出産と聞くと、特に医師であれば「何かあった時に大丈夫なのか?」という不安や疑問が真っ先に頭に浮かぶのではないでしょうか。
私もそれまでは周産期センターでの勤務が長かったこともあり、母体搬送されてくる妊婦さん、合併症のあるお産、産褥出血なども多く扱いました。
なので、助産院での出産と聞くと『なぜそんな危ないことする妊婦さんがいるのだろう』と心のどこかで思っていました。
しかし、自分が院内助産院での出産を決め、妊婦健診を助産師外来で受ける度に、助産師達のお産に対するプロフェッショナルな姿勢にただただ感心するようになりました。女性の産む力を最大限に引き出そうとするプロ魂とでもいいましょうか、産む力を信じる思い、お産にかける情熱が私とは大違いでした。
病院の妊婦健診であれば、母体の体重、血圧、尿検査、胎児エコーでの胎児の成長などを一通り診察して、問題がなければ次の健診という具合に妊娠期間が淡々と過ぎていくと思います。
正直、長男の時は、妊婦健診がクリアできれば食べづわりでポテトチップスを1パック食べたとしても、“つわりで味覚が変わるって聞くし、そんな人もいるらしいからこんなものなのかな”と、ちょっと悩んだり、落ち込んだりすることもありましたが、敢えてなんとかしようとはせずに時が流れていきました。
そして、妊娠後期に足は浮腫み、腰は痛く、今思えば医学的には正常範囲内であっても、妊婦の体としてはギリギリの状態でお産を迎えていたのかもしれません。

一方、助産師外来での妊婦健診は、胎児エコーは通常の妊婦健診よりは少ないものの(私の場合は院内助産院だったため、いくつかのポイントで産科の先生の診察・数回の胎児エコースクリーニングはありました)、妊婦健診の内容は産科外来とほぼ同じでした。
ただ、それにプラスして前回の妊婦健診からの食事、睡眠、生活スタイルを振り返りながら、その妊娠週数相当の悩みや課題をうまく引き出してくださり、次の妊婦健診までどんなことに気をつけたらいいかなど明確にアドバイスがありました。
採血結果一つにしても、鉄が足りなければ、食事には今の季節だったら貝類を取り入れてみるのはどうですか?と言った具体的にアドバイスをいただいたりもしました。
生活スタイルであれば、妊娠週数に応じて、今、するべきことは何か。それが体力をつけるために歩くことであったり、反対に今は休んだ方がいいことであったり、理由とともに教えてくれました。
家族でお産を迎えるという意識づけのために、長男や夫と一緒に助産師外来を受けることを勧めてもらい、家族が今回のお産をどう思っているのか、どんなお産にしたいかなどを、助産師を介して話す機会を設けてくれました。その時、普段での会話では気づくことのなかった、夫の気持ちなどに気付かされたのを覚えています。
助産師外来に行くと、嫌でも自分の不摂生さを認識することにもなったわけですが、お産に対するストイックなまでの心構えを4−5ヶ月かけて学んでいけたと思っています。

page05_5_img_3

実際のお産は、産休に入り、助産師外来に行く回数も増え、マタニティヨガにも足繁く通ったためか体の柔軟性もつき、『後ろから見たら妊婦さんじゃないみたいだね』なんて言われて喜んでいたくらい、体も引き締まって、体調も万全でお産の日を迎えました。
出産当日(予定日2日前)は、長男を保育園へ歩いて送り、午前中は助産院で行われていたヨガに参加し、助産師さんに「今日は、いっぱい体を動かしたら陣痛がくるかもしれないよ」と予言された通りに16時過ぎに陣痛がきました。
妊娠期間中、自分の体と向き合い、お産の用意をしてきた自信もあったからか、“陣痛が怖い“なんて気持ちは全くなく、“いよいよきたか!”と嬉しかったことを覚えています。
入院してからは、保育園帰りの長男と夫が合流し、畳の分娩室でみんなで車座になり夕飯をいただき、陣痛間隔が徐々に狭くなってきても慌てることなく家にいるような会話をしていました。
第二子のお産が、最後まで全く痛くなかったかといえば嘘になります。ただ終盤は、陣痛のたびにヨガで練習した呼吸法を実践し常に冷静でいられました。また、周りには妊娠期間中にずっと伴走してくれた助産師達が黒子のように控えて見守っていてくれたのもとても心強かったです。
そして、当時3歳半だった長男も、出産準備教室で出産の流れを予習済みだったので、夕飯のあとは持参したポニョのDVDを見てリラックスして過ごし、いざという時になったら自ら察して私の手を握り、妹が生まれる瞬間まで落ち着いて一生懸命応援してくれました。 家族揃って、いつもの生活の一部として新しい生命の誕生を迎えられた瞬間は今でも鮮明に思い出せます。

5これから出産を迎える皆さんへ

私は、後にも先にも自分の体にあれだけ目を向けて生活した期間はなかったように思います。その期間(出産後の授乳期も)、常に伴走し、支え、いろいろな気づきをくれた助産師達に敬意と感謝の意を今でも持ち続けています。

医師として生きると、ともすると自分の健康は後回しにして、忙殺される毎日を送っている先生も多いと思います。
私も一人目出産の時はそうでした。一回も母親教室に出ることもなく、沢山の人のお産を見てきた経験もあったので、よくある「みんなやっているから多分できる」と思って、出産に臨みました。それはそれでなんとか無痛分娩で出産ができたので良かったと思います。
ただ、二人目のお産で助産師外来をフル活用して臨んだ妊娠期間は本当にかけがえがない期間で、今思い出しても楽しく、キラキラした思い出です。そして、第一子の妊娠期間を、あまり自分の体に向き合わなかったことは、多少の後悔の念もあります。

私は、職場の院内助産院で出産するという稀有なケースで出産を経験しました。
皆さんが全員助産院で出産するべきだとは思っていません。ただどんな出産をするにしろ、私の経験から若い女性医師の皆さんにお伝えしたいことは、妊娠期間中は、医師である前に、妊婦であり、いつかお母さんになる女性であることを是非立ち止まって考えてほしいです。
頭の中で理解している医学的な妊娠・出産は、何度も立ち会うことができますが、一人の人間として体験する妊娠・出産は一回しかありません。
もし、2人目、3人目のお産があったとしても、毎回違う妊娠期を過ごし、毎回違う出産を迎えると思います。そして、20〜40代に身をもって医療を受ける機会があり、自分の体と向き合う機会があることは女性の特権だと私は思っています。
出産適齢期は医師としてのキャリアを考えても重要な時期であり、どうしても仕事を優先してしまいがちですが、私が40代後半になった今だからこそ思うのは、妊娠期間や出産という貴重な経験を、今後、患者さんを相手にする医師という職業を続けていく上で大きなプラスの経験につなげていってほしいです。

実は、私には第三子もいます。どんなお産になったか・・・、どれだけでも語れるのですが、それは皆さんのご想像にお任せします。人事をつくして天命を待つ。これは、出産にも医師としての仕事にも言えることではないでしょうか。

CONTENTSicon_magnify