記事作成日:2023年3月10日

※この体験談は、執筆者の先生ご自身の思いや感情を、できる限りそのまま表現いただき、私たちもそれを尊重いたしております。表現、用語などは誤解のないように配慮いただいておりますが、お気づきの点がありましたらご意見いただければ幸いです。

キラメキ
キラメキ
卒後11年目 
研究員時に2児を出産し、現在は育児をしながら市中病院勤務中。

1自己紹介から第1子妊娠まで

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私の大まかな経歴です。
卒後4年目で大学院に進学し、基礎研究の研究室で大学院生をしていた卒後6年目で結婚しました。所属していた研究室は、4年間で学位を取得することが出来ない人が多く、私も4年間では学位が取得できず、卒後8年目からは研究員として雇用してもらいながら、博士論文の研究を継続していました。
卒後8年目の2月に第1子を出産、卒後10年目の10月に第2子を出産し、同年11月に論文がアクセプトされ3月に学位を取得しました。
現在卒後11年目となり、臨床現場に復帰して市中病院で勤務しています。

第1子・第2子を妊娠出産した時ですが、私は研究員として実験をしていました。細胞の培養・誘導を行う実験が主だったので、土日・昼夜を問わずに手を動かす実験をしていましたが、臨床現場と異なり、基本的には一人で実験の計画・作業をすすめていました。細胞誘導を開始する日程で、2か月ほど先までの実験の日程が決まるような仕事パターンでしたが、忙しい曜日や実験の量などは自分で調整が可能な環境でした。

夫は臨床医で平日は忙しかったですが、土日は当番医制なので当番でない日は完全にフリーになれる職場環境でした。
夫婦ともに二人兄弟であることから、なんとなく子供が二人欲しいなと結婚時から考えていましたが、子供は授かりものなので、いつ欲しいと計画するのは困難と考えていました。
また、結婚してしばらくは職場が離れており遠距離生活をしていたこともあり、なかなか子供もできませんでしたが、卒後8年目にようやく妊娠・出産に至りました。

2第1子編:産前・産後休業に向けての計画と取り組み

第1子の妊娠が発覚したのは卒後8年目の6月でした。
4年間で学位が取得できなかったために、単位取得満期退学という形をとって、前年度までは大学院生として所属していた同じ研究室で研究員として雇用してもらった1年目でした。
その時は実験量も多く、平日は朝から夜まで、土日も日中は細胞実験をしている生活でした。妊娠発覚直後は、ネットや雑誌でいつ上司に報告するのがいいのかを調べて、安定期に入ってから職場に伝えた方がいいのかと考えていました。

しかし、実際には妊娠2か月頃からつわりが強くなり、仕事への支障が出ることが予想されたので、上司と実験を手伝ってくれる技術員さんに妊娠の報告をしました。相談内容としては妊娠していること・出産予定日・復帰時期(産後2か月で保育園に入園できる段階を考えている)と、体調不良時や産休で休む時の実験のサポートをしてほしいことを相談しました。仕事で迷惑をかけることが少ないと思われた他の同僚には妊娠7か月頃に報告しました。

急な体調不良や出産で休むことになっては困ると考え、産前・産後休暇は規定通り申請しましたが、実際は出産予定日の2週間前まで実験を継続し、その後は最小限の実験のみに減らして技術員さんに実験を託して、産休中はメールで相談しながら、実験を継続してもらいました。

卒後8年目の2月に第1子を出産しました。予定日までに出産できれば、0歳4月からの保育園の入園が可能だったために、4月に職場復帰が出来るかと考えていましたが、予定日を超過しての出産となったために、保育園の入所申込みが出来ず、5月から職場の保育園に預けて職場復帰しました。
職場には出産日次第で4月復帰になるか、5月復帰になるか分からないという話は事前にしていましたが、出産した報告のメールとともに、復帰が5月になることを報告しました。

3第2子編:産前・産後休業に向けての計画と取り組み

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第1子を育てながら研究員として研究を継続していた卒後9年目の3月に第2子の妊娠が発覚しました。
この時は論文の執筆作業中で、手を動かす実験は減っていました。しかし単位取得満期退学の形式をとっていたため、課程博士の学位取得までのタイムリミットが残り1年と迫っていました。まだ論文の投稿ができていない段階であったために、この時も早い段階の妊娠2か月で上司に報告し、その後のスケジュールについて相談をしました。

内容としては、第1子の時と基本的には同じでしたが、論文投稿に向けた具体的なスケジュール・リジェクトになった際に再投稿する雑誌など、早くに論文を完成させるための方法を話し合いました。またリバイス実験を見据えて、出産時期に重なった場合のサポートに関して技術員さんと話し合いを行いました。

結果としては出産予定日の3週間前にリバイス実験も終了し、自宅で論文の執筆作業を継続しながら出産予定日の1週間前に投稿し産後休暇中に論文アクセプトに至りました。
産休から復帰後に現在勤務している病院への勤務が決まり、それまでに学位審査や研究の引継ぎ作業を行う必要があったために、第2子も産後2か月で保育園に入園が可能になった段階で、職場復帰しました。

4私が育休を取得しなかった理由

私は第1子・第2子ともに産前産後休暇のみで職場に復帰し、育児休暇を取りませんでした。
いずれも研究員として雇用されている立場での出産であり、育児休暇を申請することは可能でした。
しかし、第1子の時は前年度まで大学院生で勤務開始後1年以内での出産にあたるため、育児休暇は取得できるものの、育児休暇給付金は給付対象ではありませんでした。

金銭的な側面だけではなく、それ以上に学位取得が出来ずに研究を継続している立場であること、上司と相談しながらではありますが、ほぼ一人で計画・実験を進行している研究環境であったために、私が研究を中断している間に他の人が実験を進行することが困難な状況であることが影響しました。産休・育休を取得している期間も課程博士取得の期限の延期は出来ないことから、長期間研究を中断して学位取得が出来なくなった場合にキャリアに大きな影響を及ぼすことが想定されたために、育児休暇を取らない選択をしました。一方で、研究員という立場だったので、産前・産後の仕事量を自分で調整しやすかったことは、出産後の早期復帰の負担軽減にはつながったと思います。

夫婦共に実家の両親のサポートを得ることが困難だったために、産後2か月から保育園に預けながら、夫婦二人で子育てをしていました。平日は仕事と家事育児であっという間に時間が過ぎ去ってしまい、気が付けば子供は成長して新しいことが出来るようになっていることもありました。

育児休暇を取って子供の日々の成長を見ていたかったなという気持ちもありますが、私自身の性格の問題もありますが、家でじっとしていることが苦手で仕事と家庭のオンオフがはっきりしている生活があっていた気もしています。

5出産に際して工夫したポイント、2回の経験で蓄積されたノウハウ

産休を取得するにあたって、特に第1子の時は職場への報告のタイミングや仕事の進め方に悩みました。
幸い妊娠中に大きなトラブルはなく出産出来ましたが、それでもつわりが強い時期は普段通りの仕事は出来ず、遅刻・早退をすることもありましたし、仕事中にトイレに長時間こもっている時期もありました。
また、出産の前には通常の妊婦健診に受診したその日に急に経過観察入院になったこともあり、妊娠中の仕事の計画のしにくさを実感しました。

妊娠・出産にあたって職場に迷惑をかける可能性を考慮すると、私は早い段階で上司や同僚に報告して、具体的に仕事の調整をしていてよかったと思いました。それまではほぼ一人で実験の計画・作業をすすめており、その日に何の実験をすべきかを自分しか知らない状況でしたし、同じ研究室内で私しか実験の方法を知らない実験もありました。妊娠後は、私しか出来ない実験を無くすために、技術員さんに実験方法を覚えてもらい、急に仕事を休んだ時に代わりに実験をしてもらえるようにしました。また、その日にする予定の実験は共有し、急なトラブルの際に対応してもらえるようにしました。

第1子の妊娠中は自分の体調のことだけでしたが、第2子の妊娠中は上の子供の発熱などでの保育園からの呼び出しなどもあり、さらに仕事の調整は困難を極めました。
突然の呼び出しの際は、保育園に迎えに行って昼間は家で見ていて、夫が帰宅した段階で交代して夜に実験をしに行くなど、研究の仕事だからこそ出来たこともありますが、時間のある間に優先順位の高い仕事から終わらせることに努めました。
また、病児保育や一時保育など利用できるサポートは出来るだけ使えるように事前に準備するようにはしていました。

6想定と現実とで異なったところは・・・

第1子の出産の際は、予定日までに出産できれば0歳4月入園が可能になる日程だったので、妊娠中に保育園の見学をして、4月入園の申込みを済ませていました。
妊娠予定日前に出産するために、早歩きでウォーキングやスクワット、階段昇降をしたり、焼肉を食べに行ったり、オロナミンCを飲んだり、嘘か本当か分からないものも含めて陣痛が来るジンクスをたくさん試してみましたが、まったく生まれる気配はなく、予定日を大幅に超過しての出産になりました。

0歳4月での入園が出来ない場合、年度途中での保育園の入園はかなり困難で、我が家も第1子・第2子ともに途中入園の応募をしましたが、募集すらない月もあり、落ち続けました。
第1子の時は0歳5月から毎月応募し続けていたところ、年度の途中で入園前月の20日頃に連絡があり、あわただしく決まりました。いつ入園できるようになるか分からないままだと、職場復帰の計画をするのが難しいと思いました。

私の場合は、職場に保育室があったので、民間保育園入園が決まるまでは職場の保育室に預けることで、5月からという年度途中での職場復帰を計画的に行うことが出来ました。しかし、年度途中で民間保育園の入園が決まった後は、再度慣らし保育が必要になったり、保育園の入園準備が必要だったりと、仕事への影響があったのは想定外でした。

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7これから妊娠・出産を考えておられる方へ

現在は学位も無事取得できたこともあり、臨床現場に復帰して、年子の子供達の育児に日々奮闘しています。
第1子は本当に寝ない子供でした。入院中から昼間はご機嫌ですがあまり眠らず、夜もほとんど寝ませんでした。夜中は泣き続ける子供をずっと抱っこであやし続け、朝方にようやく抱っこで数時間眠ってくれるので、その時間だけ子供を抱きながらソファーで寝落ち出来るという生活を退院後、職場復帰するまでしていました。

両親のサポートを受けにくい状況であったために、里帰り出産が出来ない代わりに退院後に産後ケアの入院を1週間続けてから自宅に帰ってきましたが、初めての子育てで慣れていない上に、育児書に書いてあるようにしないといけないと考えすぎてしまったことで、人やサービス、家電に頼ることがなかなか出来ませんでした。入院中に助産師さんに困っていることはないかを聞かれても、「大丈夫です。問題ないです。」と話してしまい、相談できず、その日その日を精一杯過ごしている日々でした。

保育園に入園出来て、子供と離れて仕事に集中する時間が出来たこと、保育園の先生からみる子供の様子を聞けたことで、職場復帰後は体力的には大変だったのですが、精神的に少し楽になった気がします。

現在は、第1子もよく眠るようになりましたし、第2子の子育ての経験を踏まえて、それぞれの子供の個性と思えるようになりました。
また、第2子の妊娠出産の際には、ドラム式洗濯機、食器洗い乾燥機、自動調理鍋などの便利家電の導入や、ネットスーパー、食材宅配サービス、レトルト離乳食などの利用をすることで家事負担を減らすこと、家事育児の仕方を家族で相談することや、病児保育・一時保育の登録を行い、いつでも利用が出来るようにしていました。

出産・育児は一人で悩みすぎずに、職場や家庭で相談しながらサポートしてもらうことが重要だと私は考えています。しかし、サポートをしてもらうために、職場でも家庭でも日常業務で出来る限りの努力をするようにはしています。
また、感謝を忘れないことが大切だと考えているのと、手伝ってほしいことは出来るだけ早くに具体的に相談するように心がけています。
妊娠出産の経過や職場・家庭の環境、考え方は人それぞれであることは重々承知していますが、私の経験談が少しでも参考になれば幸いです。

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