記事作成日:2022年11月22日

※この体験談は、執筆者の先生ご自身の思いや感情を、できる限りそのまま表現いただき、私たちもそれを尊重いたしております。表現、用語などは誤解のないように配慮いただいておりますが、お気づきの点がありましたらご意見いただければ幸いです。

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ビーバー
卒後16年目 産婦人科医(産婦人科専門医・指導医)
2児を出産後、育児をしながら市中病院勤務。実家、義実家ともに遠方で、基本的にサポートは期待できません。

1妊娠までの私のキャリア

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私の大まかな経歴は図のようになります。初期研修2年目で結婚しいつかは子供が欲しいという気持ちはありましたが、自分の医師としてのキャリアも大事ですのでしばらくは仕事優先、少なくとも専門医を取得してからと考えていました。それでも、後期研修開始初日に部長に面と向かって「妊娠せんといてな。」と言われたときは、内心かなり衝撃を受けました。妊娠や出産に理解のない職場なんだ、私は職場選びを誤ったかもしれない、という気持ちになりました。そこで働き始めてみるとその心配は現実になっていきました。妊娠した先輩女医は全員、出産とともに退職していき、この職場では妊娠すると育休は取れず退職するしかないのだ、と感じました。そのことだけが理由ではありませんが、5年目に希望して研修病院を異動しました。

5年目で後期研修期間を終え、6年目の夏に産婦人科専門医試験があります。5年目の冬頃、専門医も取得できそうだしそろそろ子供も欲しい、ということで妊活を開始しました。ちょうどその時に育休中だった先輩医師が復帰する目途も立ったというタイミングも考慮しました。産婦人科医としての知識もあるししっかりタイミングを取っていれば妊娠するだろう、と思っていましたが予想外に妊娠しませんでした。そのまま専門医試験を受け、合格、11月に妊娠成立しました。妊娠したとわかってまず考えたことは、いつ職場の部長に伝えるかということです。ネットなどでは、「上司に伝えるタイミングは基本的には12週以降」と書かれていました。全妊娠の約15%は流産となり、その多くは12週未満である。私は産婦人科医ですし、流産には日常診療で多く目にします。ですから、12週になったら上司に伝えよう、とこの時点では思っていました。・・・完全に甘い考えでした。妊娠してから起こる身体の変化のことを全く考えていなかったのです。

2つわりが、こんなにもつらいと思わなかった

妊娠したということがわかってからちょうど1週間過ぎた日(妊娠6週に入ったころと思います)、前日までは全く大丈夫だったのに、突然、つわりが始まったのです。これまで病気になってもお酒を飲みすぎて気持ち悪くても吐いたことなどほぼないのに、つわりの間は1日中、吐いていました。食べ物はほとんど食べられず、食べてもすぐに吐く、水分すらも吐いてしまうという状態でしたので、1週間もすればフラフラの状態になり立っていられない程になり、2週間で体重は-5kg(これまでどんなにダイエット頑張ってもこんなに痩せたことありません)。

当然ながら出勤できる状態ではありませんでしたので、部長に妊娠報告と同時につわりの状態を伝え、お休みさせていただくことになりました。仕事を2週間程休み、自宅にいる間の様子は、トイレで一度吐き始めると吐き気が治まるまで30分程トイレにこもり、それ以外の時はベッドで横になりますが眠ることはできずずっと天井を見つめている、という毎日でした。とても匂いに敏感で、マンションの6階で窓を閉めていても隙間から入ってくる通りの飲食店の匂いを感じ吐いていました。また、テレビで食べ物の映像やCMが映るだけでも吐きます。食べていませんので吐くものはなくても胃液を吐いていました。

3私を助けてくれた、まわりのサポート

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食事の準備は、妊娠前は私が担当することが多かったのですが、つわりの間は料理をできる状態ではありませんでしたので、夫は毎日食事の準備から後片付けまでしてくれるようになりました。しかも夫が炊いたご飯の匂いで気持ち悪い、と私に八つ当たりをされたりしました。私が吐いているとコップに水を持ってきてくれたり、背中を擦ってくれました。ただでさえ夫の役割分担が増える中で、夫も辛かったと思うのですが、夫の優しさ、我慢強さを感じ、心強かったです。

私が休んでいる間、自分の外来や手術、更に当時当直は月に8回程度ありましたので、それらの仕事を他の先生にお願いしている、という状況が非常に心苦しく常に気になっていました。部長は元々非常に部下思いの部長だったのですが、特に私の妊娠中には色々な調整をして下さり、時にはご自身が当直を代わって下さったりもしました。申し訳なさすぎていつまでも休んでいるわけにもいかないと、仕事に復帰しましたが、今思えばまだかなり体調は悪かったと思います。体調が悪いことが続くと精神状態もおかしくなってきます。「ずっとこのままの体調なんじゃないか」「もう好きだったカレーは二度と食べられないんだ」なんてことに始まり、「妊娠なんてするんじゃなかった」「妊娠するなんて大それたことを考えたからいけなかったんだ」「子供なんていなくても十分幸せだったのに多くを望んでしまった」「もう仕事も十分にできないし、私には価値がない」などと考えていました。帰りの電車を待つ駅のホームで「ここに飛び込めば楽になる」などという考えすらよぎることがありましたので、今思えば完全に精神的におかしかったのですが、体調が悪いとそこまでいってしまうということなのです。

私は医師で、更に産婦人科医ですから、つわりが永遠に続くなどということは医学的にありえないということはわかっていました。それでも体調の悪さは精神状態を悪くします。仕事も、吐きながら毎日ただ必死で最低限の仕事をこなし1日過ごすことで精一杯でした。家ではずっと横になるか吐いていました。やる気や気力はゼロでしたし、この状態では迷惑をかけてばかりで周りの先生方に申し訳ないという気持ちに押し潰されそうで、仕事を辞めようと思っていました。いつ言おうかというところまで来ていたのですが、結局口に出すことがなかったのは、終末期の患者さんを担当していたのでその方を最期まで担当しなければという気持ちで一日一日過ごしているうちにつわりの症状が軽減されたからです。

4妊娠を経験して感じたこと

6週からつわりの症状が始まり20週ごろに軽減されましたが、その後も出産する日まで吐いていましたので、私のつわり症状はかなり激しく、期間も長かったと思います。産婦人科医として沢山の妊婦さんをみてきていましたが、実際に自分が体験してみて感じたのは、個人差が非常に大きいということです。また、誰が私の体験のようになってもおかしくないということです。私自身もそれまで妊娠悪阻で入院する患者さんをみてきていましたが、まさか私がそうなるとは夢にも思いませんでした。医師で医学知識があったらならないわけでもないし、上手く対処できるわけでもないし、性格的につわりがきつくなりやすい・なりにくいというのも関係ないです。ですから、妊娠したら12週までは黙っておくというのではなく、少なくとも上司には早めに伝える方が私は良いと思います。医師の仕事は誰でも代われるという仕事ではありませんので、上司も少しでも早く体制を整える時間が欲しいと思います。また、私は専門医試験前から妊活を開始していましたが、もし私がすぐに妊娠していたら専門医試験を受けられなかったかもしれません。妊娠してからの体調がどうなるかは事前にはわかりませんので、大事な試験などを予定されている場合には注意が必要です。

その後ですが、20週頃から30週過ぎまでは当直や手術もしていました。産婦人科は当直回数が多く、完全に無くしてしまうと他の人の負担が大きくなってしまうため仕方ないかもしれませんが、20週台後半の大きなお腹で当直室で寝るのはきつかったですし、知り合いで当直の翌日に30週台前半で破水した医師もいましたので、もしも職場の人員的に可能であれば20週台半ばからは無しのほうが良いのではないかと思います。もしものことがあれば本人だけでなく職場の上司も嫌な思いをするかもしれません。手術は、長時間はつらいのですが、この時は幸いまだ6年目だったこともあり自分が全ての責任を負わないと手術が終わらないという状況ではなかったため、つらいときは途中で休ませてもらいながら行うことが可能でした。第二子妊娠時は自分が指導をするという立場に少しずつ変わってきていましたので、つらかったですが、責任感から途中で休むことはありませんでした。

当直や手術以外では、産婦人科の業務で被爆はあまりないのですが、唯一、透視下で行う卵管造影検査(HSG)については妊娠中には避けたかったため他の医師にお願いしていました。また、上述しましたようにつわりの時期以降も出産までは体調が良くなかったのと、特に朝は気分が悪く思うように動けないこともありましたので、自分の裁量で決められる仕事はうまく分散させるようにしていました。例えば、午前の外来では9時の予約は入れすぎないことや、妊娠前は自分の執刀の手術を午前と午後と連続で2-3件予定することもありましたが執刀は1日1件にしてまんべんなく分散させること、などです。

そうこうしているうちに産休入りが近づいてきました。私が1人目の妊娠時に失敗したと思うのは、自分が出産して育児休暇後にいつ復帰するかということを上司と相談する時期が遅くなってしまったことです。産休間近になり手続きをしないといけない頃になって、この手続きには復帰日を記入する欄がありましたのでそこから慌てて上司と相談しました。保育園に入園できるのは4月が最もタイミングが良いということで復帰日を4月1日とし、だいたい上司も同じように考えていたようでしたので運良くすぐに決まりました。ただ、場合によってはもっと早い復帰を上司から求められるケースなどもあるでしょうから、早い時期に話し合っておくほうが良いと思いました。

また、復帰日「4月1日」というのも実は落とし穴があり、実際にその時期になってみると、まず保育園の入園式が4月5日でした。保育園の入園説明会でそれが判明し(3月中旬ごろ)、「4月1日から勤務なのですが・・・」と保育園に質問すると、「まだ入園していない子は登園できないので入園式の後からの登園になります。」と言われてしまいました。また、私の子の保育園では慣らし保育が3週間近くもあり、最初は9時に登園して10時にお迎えが3日間、その後3日間は9時に登園して11時にお迎え、という調子で預けている間に自分は出勤するなどとてもできるスケジュールではなかったのです。4月1日から自分の外来や手術などの予定も入っていましたから、このときは実家の母にお願いしてしばらく助けに来てもらいました。この保育園入園時の事情は全く知りませんでしたので、かなり驚きました。しかし、職場で同じ4月に復帰する看護師さん達は復帰日が最初から4月25日などとなっていましたので、看護師さんの中では情報は伝わっていたのでしょう。後から思えば妊娠中に職場の育児中の看護師さんなどに情報収集しておけばよかったと思いました。

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5第二子出産の経験と成長

こうして仕事復帰後、目標にしていたサブスペシャリティ領域の認定医資格を取得し、3年後に第二子を妊娠しました。第一子の妊娠中の経験から、第二子妊娠中に気を付けていたこととしては、まず妊娠して心拍確認できた後には早めに上司に妊娠を伝えました(妊娠5週後半ごろ)。そして今度はつわりが軽いことを期待していたのですが、この時も第一子と同じく激しいつわり症状がありました。そのため、3週間ほど休業させてもらいました。第一子の時と違ったのは、1人子供がいますので自分一人でずっと横になっているわけにもいかなかったのですが、保育園の送り迎えなどは夫に全面的にお願いして乗り切りました。また、第一子妊娠中はつわりが永遠に続くのではないかという思いで辛かったですが、今回は、人よりは長いかもしれないがいつかは終わる(最長でも出産すれば終わる)ということがわかっていましたので気持ちを強く持つことができました。また、当直は本心では辛かったのですが周囲の負担も考えて30週まではしました。手術や外来などは中堅になり自分の裁量の部分が第一子妊娠時よりは多くなっていましたので、無理のないスケジュールを組むようにしました。また、20週頃より上司と育休後の復帰時期については話し合い、準備をすすめていました。

上司との話し合いで感じたことですが、自分ができること、できないことをしっかり伝えた方が良いのではないかと思いました。できないこと・辛いことを伝えるだけでなく、ではどこまではできるのか、またはどうすればできる範囲が増えるのかなどを含めて話し合うことが大切と感じました。

更に家事の工夫ですが、第一子出産前ごろから食材宅配サービスを利用していました。1週間で3500円程で、毎日の献立とその材料が毎日自宅のドア前まで届くというもので、オプションで追加すれば野菜はカット済のものにできます。献立を考える必要もなくレシピを見ながらカットされた食材を順に投入するだけで30分以内で食事が完成しますので、育休中のみならず復帰後も非常にありがたかったです。本当に簡単なのでそれまで料理はあまりできなかった夫も「プラモデルみたいに手順通りに作れる」と言って料理をしてくれるようになりました。これらの工夫により、第二子妊娠中は以前よりもスムーズに過ごすことができたのではないかと思います。

第一子妊娠中は復帰後に仕事を続けられるかどうかや育休のブランクがあることで仕事についていけるかなど心配もありましたが、復帰後は「とにかくできる限りやってみよう」という気持ちでやってみると案外普通に仕事に戻れたと思います。また、これは今思えば上司が私の医師としてのキャリアを考えてくれたことによると思うのですが、サブスペシャリティ領域の認定医資格を取得できたことで、第二子を出産して育休で休んでも十分に復帰できるという自信もできたのでその後も基幹病院での仕事を続けられたと思います。当時の上司や同僚にはとても感謝しています。また、自身の経験から、妊娠中や復帰後の同僚に対してすすんで協力したり仕事を負担するよう心がけています。

体調や職場の状況など、それぞれ差があるとは思いますが、私の体験が少しでも参考になりましたら幸いです。

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