保育園探しのことを「保活」と呼ぶのだ、ということを、妊娠中に知った。
保活の流れは
- ① 候補となる保育園を調べる
- ② 見学に行く
- ③ 希望の園を決める
- ④ 募集に応じて申し込む
- ⑤ 入園が決定する
私の住んでいる地域は、待機児童の多い「保活激戦区」であった。
しかし「医師は聖職だから必ず入園できる」という根拠不明の噂を、一度ならず耳にしたため、自分は大丈夫だろうという楽観的な気持ちで、私の保活はスタートした。
記事作成日:2024年4月10日
※この体験談は、執筆者の先生ご自身の思いや感情を、できる限りそのまま表現いただき、私たちもそれを尊重いたしております。表現、用語などは誤解のないように配慮いただいておりますが、お気づきの点がありましたらご意見いただければ幸いです。
保育園探しのことを「保活」と呼ぶのだ、ということを、妊娠中に知った。
保活の流れは
私の住んでいる地域は、待機児童の多い「保活激戦区」であった。
しかし「医師は聖職だから必ず入園できる」という根拠不明の噂を、一度ならず耳にしたため、自分は大丈夫だろうという楽観的な気持ちで、私の保活はスタートした。
就職以来、ほぼ家と職場の往復に明け暮れる生活だったため、近隣の保育園がどこにあるのか、気にしたこともなかった。
勤務先の大学病院には保育園がない(近隣の企業の付設保育所に、3枠だけ借りているとのことだった)。
ネットで検索して、自治体の保育課がリストを発行していることを知った。
8月出産、翌年の4月からの入園を検討していたので、つわりの落ち着いた初夏ごろ、区役所の保育課に初めて足を運んだら、「今からですか、(保活)遅いですね」と言われ、とても驚いた。
遅い?!
まだ預けるべき子供がいないのに!無事に生まれる保証もないのに。
配布された資料を見ると、どの園も募集数に対して第一希望人数が5倍程度。大学受験より倍率が高い。
(出産後に知り合った近隣のママたちによると、地域の無認可保育園は、妊娠と同時に入園予約を受け付けていて、そのために付近のワーキングマザーたちは、4-5月の出産を狙って逆算して妊娠するという。聞いて唖然としてしまった。)
さて、目星をつけた園に見学に行こうと思っていたが、早産となったため、産前には何もできなかった。退院後早々に、新生児を実母に託して、何園か見学させてもらった。
後から考えれば、もう少し落ち着いて、赤ちゃんと出かけられるようになってから行けばよかったのだが、役所で動き出しの遅さを指摘されたことが気になっていて、ひどく焦っていた。
イメージしていたのは、敷地内に園庭があって、園児が賑やかに遊んでいる保育園。そのような保育園も、2つ3つあったが、それよりも、マンションの1階や、コンビニの2階、といったような、小さなスペースの保育園(託児所、という方が合うような)が多くあることを知った。
無認可(東京都認証)保育園の説明会は夏から随時開催されていたが、説明会に参加したくても、予約開始と同時に一瞬で満席になってしまう。争奪戦の末、なんとか参加できた説明会には募集園児8人に対し、ぎっしり150人が詰めかけていた。
ここまでで分かったことだが、私たちの場合、「保活」とは、私たちが、入りたい保育園を選ぶのではない。
通える範囲内の保育園が、うちの子を選んでくれることを祈るという活動なのであった。
選考基準は自治体により、様々な状況を点数化して、点数の高い順に入園が承諾される仕組みになっている。
選考指数=基本指数(父)+基本指数(母)+調整指数
基本指数は、フルタイム勤務(週5日以上、日中7時間以上の就労)が親一人あたり20点、両親ともフルタイム勤務で40点となる。
この40点は保育を希望するほとんどの人が持っているので、あとは調整指数での勝負となる。
調整指数はたくさんあり、
など。
つまり、特別の事情がない場合、「0歳の10月頃から、すでに子供を預けて復職している」人は42点
同点の場合、ひとり親世帯が優先で(このため、偽装離婚という強硬手段に出る人もいるという噂を聞いていた)
保護者が長期単身赴任、
兄弟姉妹が在園している、
双子の同時申込、
住民税が低い世帯、
など優先順位付けの項目が16番目まで明示されている。
認可園の申込書には、最寄駅の近くだけでなく、前後1駅の周辺、合計6園を書いた。
それとは別に、無認可(東京都認証を含む)保育園3園に願書を提出し、それぞれ面接に出向いた。
0歳の4月という、もっとも競争率の低い(はずの)タイミングで通えるギリギリまで範囲を広げて書いたので、さすがに1園くらいは引っかかるだろうと思っていたが、届いたのは、全て不承諾という通知であった。
文書を目にして、一瞬、頭の中が真っ白になった。両親が医師なら入園できるなどという噂は、ただの都市伝説であったことを証明してしまった。
現実的な復職可否の心配と同時に、「あなたはもう社会に要らないよ」と言われたように感じて、悲しくなった。
同じ条件のママ友(一般企業の派遣社員さん)は入所が承諾されていた。同じ地域の、友人医師夫妻は不承諾。女性医師と自営業の夫という夫婦も不承諾であった。
もしも、住民税額が高いために不承諾なのだとしたら、それは単純に私たちが、昼も夜も休まず働いた結果なのに…。働くために保育が必要なのに、働けば働くほど保育園に入れなくなる、釈然としない仕組みだと思った。
認可保育園の二次募集でもう一度(少人数ながら)敗者復活のチャンスがあった。
園希望書類を書き直してもよいということだったので、再考した。といっても、希望園はこれ以上増やせない。
「保育が必要な理由」の欄に「両親就労のため」とだけ書いて出していたが、それがいけなかったのだろうか。保育選考係の方の、心を動かす文章を書かねばならなかったのか。
必死で考えて、医師の社会的責務や、麻酔科医の不足にまで言及し、保育と復職の必要性に関して、あらんかぎりの情熱的な文章をしたため、役所に持参したところ「それは関係ありません」と軽く笑われてしまった。
当然のように、二次募集も全園不承諾であった。
ああ、もうだめだ…
先述の医師夫妻の友人が「港区の月30万円のインター保育園はまだ空きがあるらしい」と言っていた。もうそこまで検討せざるを得ないのか…
と思っていた翌日、私立の認証保育園から、入園許可の通知が届いた。
まさに地獄に仏!!
受け入れてくれた保育園はコンビニの2階、0歳児は6人という小さな小さな園だったが、ここが、結局その後6年間通う保育園、子供にとっては、起きている時間のほとんどを過ごす、第二の家となった。
保活について考えるとき、喉元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉を、いつも想起する。
保育園が決まるまでは、保活こそが一大関心事で、何とかどこかに入れてもらえないか、行政ももう少し対応してくれないものか、と必死の思いであったが、入園が決まってしまえば、その後には復職、子供の発熱、頻回の通院、朝夕のドタバタ…と試練が息つく間もなく押し寄せてきて、保活の大変さは記憶の彼方に消し去られてしまう感じがする。
その結果、保活当事者は、毎年同じように迷い悩むのではないだろうか。記憶と記録を掘り起こして記したこちらの体験談が、どなたかの参考になれば幸いである。
また、このような現状では、良い保育園にめぐり合えることは運としか言いようがない。
筆者の友人にも、保育園には入れたものの、コロナ禍に保育を渋られたため転園を余儀なくされたり、新設園で近隣とのトラブルが絶えない園だったり、園内部の問題で保育士が一斉退職して一気に保育の質が落ちてしまったり、様々なケースがあった。
親として安心できて、何より子供たちにとって安全で楽しい生活と成長の場所となる保育園が、必要な人に十分確保されることを切に願う。
※これは2012-2017年の体験談であり、
その後、2016年の「保育園落ちた日本死ね」ムーブメントなどにより、新規園がどんどん創設されて、現在は待機児童ゼロ(数字上は)となっているようです。