本マニュアルをご覧いただき、誠にありがとうございます。
医師という仕事をしていると、日々の診療計画・手術スケジュール・研究計画、学会発表まで、すべてを「計画的に」「効率よく」「想定内で」進めることが求められます。私自身もそうやって、これまでのキャリアを積み重ねてきました。ところが——子どもが生まれた瞬間から、その秩序は見事に崩壊しました。
計画は通じず、睡眠時間は削られ、どれだけ頑張っても“結果”が見えない。予測不能なトラブルの連続に、まるで異世界に放り込まれたような混乱と孤独を味わいました。医学書もエビデンスも役に立たず、唯一聞こえてくるのは、赤ちゃんと自分の泣き声。これほどコントロールできない日々が続いたのは初めてかもしれません。
そんな中で学んだのは、「自分一人で完結する必要はない」「頼ってもいい」ということでした。妊娠・出産・育児という道のりの中で、多くの医師が同じように悩み、迷い、時には絶望してきた。その現実を知るだけで、救われる人がいると思います。
このマニュアルは、妊娠前から復職後までのリアルな課題と、その時々で必要なサポートを“職場全体で共有する”ことを目的にしています。私たち医師は、どうしても「自分で何とかしなければ」と思いがちですが、実は“助けを求める”ことも専門職としての重要なスキルのひとつです。
そしてもう一つ、忘れてはいけないことがあります。SNSの世界には、いつも明るく輝く「理想的な妊活~子育てライフ」が並びます。おしゃれな部屋、笑顔の親子、レストランのような食事、余裕のある時間。けれど現実は、髪は乱れ、お肌はガサガサ、ごはんは冷め、パソコン片手に、足の踏み場のない部屋をながめる——そんな日々のほうがずっと多いでしょう。それでいいのです。
キラキラしていなくても、ちゃんと生きて呼吸している。それこそが現場で命と向き合う私たちのリアルであり、尊い姿です。
私が本マニュアルに込めた願いは、そんな“完璧じゃない”私たちを認め合い、支え合う文化を医療界の中に根づかせることです。
妊娠・出産・育児を「個人の頑張り」で乗り切る時代から、「チームで支える」時代へ。医師も一人の人間として、生き方や働き方を見つめ直すきっかけにしていただければと思います。
医療の現場も子育ても、思い通りにいかないことだらけです。でも、予期せぬことが起きたときこそ、私たちは最も柔軟で、最も強くなれるチャンスです。
どうか、このマニュアルを手に、あなたの職場で「妊娠・出産・復職を安心して迎えられる環境」について話し合ってみてください。
最後に——このマニュアルが、あなたの「頑張りすぎない勇気」「助けを求める勇気」とともに寄り添い、 そして、“キラキラしていなくても、クタクタでも大丈夫”と思える日々の一助となれば、こんなにうれしいことはありません。
皆さまのこれからのキャリアと暮らしに、温かな光がともりますように。
妊娠に際し職場のみんなで読むマニュアル
コアメンバーを代表して 加藤果林